2021年10月21日木曜日

目の前の問題をどう見るか


 

目の前の問題をどう見るか



こんにちは。

医療ソーシャルワーカーの横井です。




以前「気づき」「運」につながるという話をしました。

いかがでしょう、気づきは得られていますか?




ところで……

みなさんは老子をご存じでしょうか?




老子は春秋戦国時代の中国における思想家・哲学者です。




老子の思想はまさに

「気づき」を得るためのヒントになるのでおすすめです。




老子にはこんな話があります。




世の中の人はみな美に執着するが、

「美しい」と「醜いが」別々にあったわけじゃない。


それは人間が勝手に決めたことで、

「醜い」があるから「美しい」があるのだ。


善悪も同様。

悪があるから善があり、

それは比べることによって生まれる。


だから「道(タオ)」に通じている聖人は

片方だけで判断しないし、

いつも全体を見て言葉のない教えをする。

※道(タオ)=真理




また、チベット仏教の指導者

ダライ・ラマ14世にも

こんな言葉があります。




砂に一本の線を引いたとたんに

私たちの頭には「こちら」と「あちら」の

感覚が生まれます。


この感覚が育っていくと

本当の姿が見えにくくなります。




両者が伝えたいことは似ているように思います。




私たちはいつの日も

「良い」「悪い」ばかりで

ものごとを考えてしまいます。




私が医療ソーシャルワーカーとして行う支援もまた、

自分の中にある「良い」「悪い」というフィルターを通して

目の前にある問題を見てしまいがちです。




これではダライ・ラマ14世がいうように、

本当の姿(本質)が見えなくなってしまいます。




もちろん、

助けを求める人々に

手を差し伸べることは私たちの使命です。




しかし、

問題の本質を理解していなければ

小手先の支援にしかなりません。




こちらが「良い」と思って一方的に行っている支援が、

時として「悪」を生じてしまうこともあるのです。




たとえば、

「家族の介護力がなく転倒リスクが高いので

介護施設に入った方が良い。」




医療福祉の現場では、

このような評価がなされることがあります。




しかし、

私たち医療従事者が良いと思っていても、

患者さま自身は「家で生活したい」と思っていたらどうでしょう。




私たちの善意が患者さまにとっての

「悪」になってしまうかもしれません。




先日のミッションの話にも通ずるところですが、

私たちはなんのために医療や介護を提供しているのか?

その本質を見逃すわけにはいきません。




私たちが行うのは、

病気や怪我を治療することなのか。

介護支援を行うことなのか。

施設入所を導くことなのか。




これらは勿論なのですが、

医療福祉の本質は「ウェルビーイング(幸福)」の追求だと思っています。




とても難しい話になってしまいましたが、

難しいからこそ向き合って考えなければいけません。




善悪を語れば偏りが生じます。

偏りはシワの原因です。

シワがあると形は歪みます。

歪みを見つけると人は善悪を語ります。




人間社会で生きていく以上、

どうしても良し悪しはついて回ります。




しかし、

片方だけで判断せずいつも全体をみる。

線引きをするのは人間であり、

自分自身であることを自覚する。




そうすればきっと

新たな「気づき」が生まれると思うのです。




「ことの本質から支えていく」

そんな支援を心がけていきたいと思います。




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協立病院 地域医療連携課 横井